2010年01月25日

関落陰 6 『生命の樹』 

『関落陰(かんらくいん)』とは、
『この世』の人間を
通常の顕在意識をそっくりそのまま保たせたまま
一種の変性意識状態に誘導し、
いわゆる『あの世』に送り込むという
道教の秘法です。

私はかつて、
矢山利彦導師による誘導により、
関落陰を訪れたことがあります。

関落陰には、
その人その人、個人個人の
『この世』の状態を暗示、象徴する
『魂の家』『生命の樹』が存在しています。

私も関落陰で自分の『魂の家』や『生命の樹』を
実際に見てきました。

『生命の樹』は、
その人間の象徴、
生命そのものの象徴であり、
肉体そのものの全体像、
心の全体像を顕していると言われています。

具体的には・・・

『生命の樹』の『葉』はその人の健康状態を、
『幹』身体そのものを、
『樹皮』皮膚などを、
そして『根』根源的な生命力そのものを象徴している

・・・のだそうです。

私の『生命の樹』は、関落陰の一体どこにあるのかと
思っていたら、
何と『魂の家』houseの中にありました。

『魂の家』の中に、中庭みたいな空間があって、
そこに私の『生命の樹』がありました。

自分の『生命の樹』を見たとき、
私はビックリしてしまいました・・・。

矢山導師が質問されます・・・
導師:「あなたの『生命の樹』の葉は、今どんな状態ですか?」

私:「葉っぱは・・・
   あ、ありません・・・。」
coldsweats02

導師:(非常に慌てて)
   「えっ・・・!?
    葉っぱが無いって??? 
    か、枯れてるの・・・?」
shock

『生命の樹』の『葉』は、
その人の健康状態を表しています。

葉っぱが無い、枯れてしまっているということは、
一般的には
健康状態があまり芳しくなく、
生命にも危険が迫っていることを象徴しているのです。

私:「いえ、枯れているんじゃなくって・・・。
   み、見えないんです・・・。」


私の目の前に出現した『生命の樹』は、
枝葉のない、幹だけが直立している巨大な樹木でした。
例えて言うならば、天まで届くような、
直立する巨大で真っ直ぐな『ジャックと豆の樹』・・・。



『生命の樹』の下から上を眺めてみましたが、
巨大すぎて樹の全体像を目で確認することはできませんでした。

ただ、空の向こうから『生命の樹』の葉のざわめきのような気配を
感じることができましたので、少し安心しました。

『生命の樹』の根は、
直接目eyeで視ることはできませんでしたが、
大地に網の目のように根をはっているのを
心の目で認識することができました。

異次元なので可能。)

私:『健康状態が悪いわけじゃないみたいだな。
   しかし、余計な枝葉が無くて真ん中の幹だけの樹とは・・・。
   俺らしいといえば俺らしい「生命の樹」じゃないか・・・。』


・・・なんて、思わず苦笑いcoldsweats01してしまいました。

『樹木』は、古来より世界中で『生命』の象徴とされてきました。

『北欧神話』に登場する宇宙樹(世界樹)『ユグドラシル』

『旧約聖書』に登場する、
エデンの園の中央に植えられた『生命の樹(セフィロトの樹)』

(ちなみに、もう1本の樹が
 クリスマス・ツリーの起源ともなった『智恵の樹』
 アダムとイヴは禁じられていたにも関わらず、
 この『智恵の樹の実』appleを食べてしまい、
 神よりエデンの園を追放されてしまいます。)

仏教ではお釈迦さまが悟りを開かれた『菩提樹』
お亡くなりになる時の『沙羅双樹』
生まれた所にあった『無憂樹(むゆうじゅ)』
『三聖木』として知られています。

神道では『御神木』といって、
樹木を『御神体』として扱い、非常に神聖視しています。

どの民族、どの時代、どの宗教でも、
樹木は生命の根源と位置付けられていますが、
自分の生命の象徴である『生命の樹』を
自分の目で実際に確認できたことは、
非常に得難く、有り難い体験で、
私にとっては関落陰で最も印象的な出来事となりました・・・。



Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(0)
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