2010年04月29日

治っても良し、治らなくても良し

『絶対優位の戦略』とは、
事態がどのように進展したとしても、
最後には自分が勝利をおさめるような戦略を立てることを
意味していることを前回述べました。

私がこの『戦略』を意識し出したのには理由があります。

それは・・・

現在の医療が、
矢山クリニックも含めて)
あまりにも『死』から目を背け、
『生』ばかりに執着していることを再認識したからです。

その昔、
医師の王、『医王』とも謳われたお釈迦さまは、
『生・老・病・死』『四苦』と表現しました。

『老・病・死』『苦』であることは全くその通りであると思いますが、
『生』『苦』であることを、
私はよく理解できませんでした。

(娘によれば、『生』は『喜び』とのことですが・・・。)

実はそれは、
私が『苦』を『悪』であると思っていたからであるということを
後に悟りました。

詳しくは知りませんが、私の知る限り、
確かお釈迦さまは・・・

「苦」「悪」である。』

・・・とは一言も仰ってはおられないと思います。

『生・老・病・死』

『生→老→病→死』


それは生命の一連なり。
自然の法則。
宇宙の法則。
当然のこと。
当たり前のこと。
『苦』かもしれないけれども、
別に『善』でもないし『悪』でもない。
そんな『善悪』の範疇を超えた、
実に抽象度の高い概念であると言えると思います。

それを、
あたかも『生』が『善』で、
『老・病・死』が『悪』であると勘違いしてしまっているのが、
現時点での医療の姿であるような氣がするのです。

医療を行う側も、
医療を受ける側も、
意識的・無意識的に
『老・病・死』が、『悪』『敗北』であるかの如く捉えている所に、
現在の医療が抱える矛盾の根本原因があるように思えます。

そこで・・・
(別に『優劣』『勝ち負け』『善悪』の問題ではないのですが、
 分かりやすいように、あえてこの表現を使わせていただきます。)

『絶対優位の戦略』
『絶対優位の医療』として・・・

(治るために現時点で可能な限りの最大限の努力を行うことを前提に・・・)

『本人が幸せな人生を全うすることができるのであれば、
 治っても良し、治らなくても良し。』


・・・という医療が今後必要となっていくのではないかと
私は考えるのです。

私が最近、『絶対優位の医療』のことを考え出したのには
実は理由がありまして・・・

(・・・次回につづく)



Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(2)
この記事へのコメント
よかったです♪
入院中、わたしのブログにも記していました。

病気が治ることが善であり勝者であり
治らないものはダメで敗者などではない…と。

魂の転にて病の必要性があり生まれてくるものたちもいます。

あえてチャレンジする為の高い意識の魂たちがいます。

また、病になってこそ分かることや、人生の転換

そしてそれを治癒出来た者が勝者であり、治療出来なかったものは敗者ではありません。

どうしてもお医者さんは職業的に『治すひと』だと割り切ることが必要かなとさえ思っていました。

治るものは、治ります。
それは天のみが知ることにて、人間の固執したものとは違う位置に存在します。

治るということは結果論です。
『病気治しが目的(目標)ではない』とおっしゃる先生にこそ

全てに起こる事柄は魂たちのチャレンジだということが見えてくるのだと思います

もちろん病気が治らないものだと自分で決めつけていたり(観念の間違い)また、いのち(人生)の時間はあるのに、治るために…生きるために…どうしても誰か(お医者さんなど)の助けが必要で、サポートを受けなければならないケースもあります。

それも魂のご縁ですね…。

『治らないといけない』
『治さないといけない』
という概念は、それに対しての執着や固執ともいえますが、
わたし自身は、先生方の愛の形だとして感謝しておりました。

ベースが愛ならば、見えてくるものが違ってきますね…
Posted by ミワ子 at 2010年05月01日 03:07
ミワ子さん、こんにちは。

これまでの医療者は、あまりにも・・・

『治らないといけない』
『治さないといけない』

・・・と思い過ぎていたのかもしれません。

なんでも治そうなんて、
そんな、神様じゃあるまいし、
ちょっと傲慢ですよね・・・。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年05月02日 15:26
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