2010年05月03日

『病院の怪談』と『残存思念』

子どもの頃に読んだ、
平井和正氏、石ノ森章太郎氏の漫画・・・

『幻魔大戦』

・・・に、『残留思念』という概念が登場します。

主人公の宇宙の絶対悪『幻魔』に殺されてしまうのですが、
を想う心が『残留思念』となって、
主人公を見守り、救います。

この物語は後に映画化され、
確か中学生の頃だったか、観に行って・・・

『おお~、
 音楽をカセット・テープに録音できるが如く、
 人間の想念というものは
 空間に記録することができるのか・・・。』
happy02

・・・と、妙に感動したことがありました。



その後、『オカルト』の研究でも有名なイギリスの作家、
コリン・ウィルソンが、『幽霊現象』のことを・・・

『テープ記憶』

・・・と表現されていることを知りました。

医師になって約20年
数々のクリニックや病院に勤務して、
正直な話、いわゆる・・・

『病院の怪談』

・・・じみた話を聞いたり、実際に体験したりしたことは
少なくありません。
例えば・・・

『誰もいない空き部屋のナース・コールが鳴る』

『誰もいない病室から呻き声が聞こえてくる』

『深夜、誰もいないのにエレベーターが勝手に動いている』

『患者さんが亡くなった深夜に限って、
 火災報知機が誤作動を起こして鳴り響く』

『心臓マッサージ中、
 その本人の姿が窓の外に確認できる
 (しかも6階・・・。)』

『幽霊(?)を観た直後に患者さんが急変、
 一命をとりとめる』


・・・etc

どの話も
一般的にはいわゆる『心霊現象』と呼ばれるもので、
いかにもアヤ(怪、妖)しく感じられるものなのですが、
信頼できる方の証言だったり、
自分でも体験したことだったりするので、
これはもう仕方がありません。

ただ、これらの現象を俗に言う『心霊現象』と考えないで、
まだ完全に解明はされてはいないけれども、
『残留思念』『テープ記録』という
純粋な物理現象であると仮定すると、
別に怖くも、恐ろしくも、おどろおどろしくも
何ともない、別に普通にある現象と捉えることができます。

この辺りのことは、
『光の学校』校長、飯田史彦先生も・・・
「幽霊」「悪霊」は存在しない』

『単なる「情報体」

『思考や感情、「思念」のかたまりにすぎない』

『潜在意識の中で、それらの思念を感じ取っているだけ。
 「幽霊」であると勘違いしているだけ』


・・・という、『残存思念』現象という概念を提唱されています。

さらに、『残存思念』には『プラス』『マイナス』
『ポジティブ』『ネガティブ』なものがあるので、
できるだけ『プラス』『ポジティブ』な残存思念が残っている空間、
例えば有名な神社寺院教会、各種テーマ・パーク
勉強する思念に満ちた図書館などに出かけ、
『残存思念浴』を行うことをお薦めされています。

・・・ということは、
我々医療関係者にとっては、実は大きな問題が生じてきます。

クリニック、病院というものは、
人さまの病気、生き死にを直接扱う空間です。

そこには人々の苦痛、苦悩、恐怖など、
様々な『マイナス』『ネガティブ』な思念が渦巻いています。

よって、あまりよろしくない『残存思念』を空間に記録させない工夫と、
残存した『マイナス・ネガティブ思念』を消去し、初期化
『プラス・ポジティブ思念』再記録するという工夫が要求されます。

具体的な方法は目下研究中ですが、
精神性、スピリチュアリティを重視する我々にとって、
この辺りの問題は、今後大きな課題になると思います・・・。



Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(6)
この記事へのコメント
10年ほど前
病院に勤めていた時の事(看護婦ではありませんが)

その病院で勤めていた先生が、亡くなられたのですが、

ちょくちょく、
診察室に出て来られてました。

私も見た1人ですが、全く怖さはなく、
又、来とんさぁ~
位の感じでした。

幽霊とやらは、全く信じない私ですが・・・
Posted by すけとうだらこ at 2010年05月03日 19:52
先生、こんばんは。

わたしもクリニックとは違う病院で、とにかくすんごいものを視て、すんごい数のものたちを視てきました。
いやぁぁぁぁぁぁ、もう、太刀打ちできるものではなく、さらに衰弱しきって弱りきってる“まだ生きてる人間”(わたし)にとっては、結界をはってもらっても一日しかもたずに、もうたまらないものでしたよ。
長くいたら死んでいたと思われるほどです。(子ども達は3人ともそれを視て、『おかあさん、ここに長くいないほうがいい!死んでまうで』といわれました。)

しかしながら、「思念体だけに死ねんかってんなー」などと苦しくて泣きながらもサムいギャグを考えながら、そのベッドでなくなられた方の念だけは、御返しさせていただきました・・・。
(あとはごめんなさいでした。)

*ちなみに、広島の原爆式典に参加しに行ったときも、路面電車の中で、いきなりたくさんの思念にリンクして、『ちょっと待ってねぇ』と言って電車を降り、光を差し上げました。この世界には、どこにでもあることです・・・。


さて。

じつは、わたし、クリニックに転院させていただいたときも、この内容と同じことを感じておりました。
同じ空間、同じベッドに蓄積される念(思念)という情報。これは確かにあると感じましたが、自分自身が、この部屋を次に使う方に対して、よろしくない思念は残したくはないと思いながらも、苦しいときは、苦しいものです・・・。
でも、できるだけ、次にこのベッドを使う人も元気になって退院できるようにと、わたしの『治る思念』をがんばって発してきました。
さらに・・・残っているものも感じてましたよ・・・。
いちっばん最初に入院させていただいた出来立ての六年前とは、入院病棟やお部屋が少し違っていましたから・・・。

その思念は、病が重く重篤な方には特に影響を及ぼしますね・・・
しかしながら、世界は光と闇、ポジティブとネガティブの両極がバランスして保たれています。
ポジティブオンリーの世界は、この世には存在できないのです。
なぜなら、それらの二極化したものは、表裏のあるひとつのコインと同じようなもの・・・すなわちあわさって“ひとつ”のものだからです。

では?どうしたら?というところですね。
ご提案させていだけるならば、ポジティブやプラスという、片面のみにフォーカスするのではなく、ニュートラルな状態になさってはいかがかと思います。
それこそ、死や病が治らないことは悪であり忌み嫌われることではなく、
「治るのもよし、治らないのもよし」という『すべてありのまま、そのまま』『それさえも人生だよ』とという、より自然界の摂理にのっとった思考ではないかと思われます。

(メメント・モリには、死はなんて自由だ!と書かれていましたよ。
琉球の国では死は忌まわしいものではなく、そしてネイティブでは、人間の誕生は祝福ではない、という考えもあります。
アイヌでも、儀式によりコトロッコの泣き声とモコイなどの聖霊たちが、黄泉の国へと魂を導くとされています。それは、悪しきことではありません。人間の自然な摂理です。)


思念は、生きていらっしゃる方にはその方に御返しさしあげ、魂となられた方にはその魂に御返しさしあげることができます。
それを浄化というひともいるのでしょう。

手をとり、その手を握り締め、愛で包むと、苦しかった気持ち、分かって欲しかった気持ち(念)が溶けてなくなり、自然と源へと御帰りなさいました。
人間と同じです。愛と、理解してさしあげるというコミュニケーションです。

さらに、念といえども、それは単にエネルギーです。
そして、源を離れていても時空間は関係のない存在です。
たいていがその場所に蓄積されているレコーダーのように思われますが、
念とはエネルギーに乗った『情報』 という言い方を苫米地さんはされています。

浄化(御返しする)とまでゆかなくても、空間自体の情報の書き換え、ニュートラルにする方法は、いろいろあると思いますよ。

・・・・例えば・・・・
私のことで大変恐縮ですが、先日、大変荒れている(警察も来るという荒れよう)の我が娘が通う中学校の授業参観のときに、教室にしてきたんですが・・・

プラスとマイナスをニュートラルにして、さらに時間をフローさせてみればどうでしょうか?
(それも、未来への希望・・・未来から時間が流れてくる)
実際、こっそりと教室のうしろでやっていたのですが、娘は授業をうけながらそれに気づき、さらに友達からは「ななみちゃんのお母さんってオーラが違うよね」とか「なんか・・・すごいよね」とかいわれたらしく、感じとる子どもたちがいたようです。

この世界は、プラスがあれば必ずマイナスがあり、
ポジティブがあれば必ずネガティブが存在する世界(次元)です。

飯田先生がむかしおっしゃっていたように、それさえも越えた、ブレイクスルーな思考でゆけば簡単に道は開け、そして自然的ではないかなーと、思いました。

生も死も、ひとつの『いのち』の表れです。
光も闇も、本当はひとつのものからの見方の違いですね。

よりネガティブが強ければ、よりポジティブも強い、というみかたもできます。
なぜならそれは、バランスを保とうとするのが“自然の摂理”だからです。
Posted by ミワ子 at 2010年05月04日 00:04
すけとうだらこさん、おはようございます。

それはまさしく残存思念ですね。

死してなお仕事の念を残されるとは、
実に仕事熱心な医師だったのでしょうね・・・。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年05月04日 07:19
ミワ子さん、おはようございます。

ご意見、参考にさせていただきます。

病院にマイナスやネガティブな残存思念が残ってしまう
根本原因は、
現代人が「病・老・死」を
基本的にそのようなものであると
捉えてしまっているからだと思います。

その情報の書き換えを行うのも、
我々の仕事であると思っています・・・。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年05月04日 07:26
先生。
長いコメントお読みいただき大変光栄に存じます。ありがとうございました。


>病院にマイナスやネガティブな残存思念が残ってしまう
根本原因は、
現代人が「病・老・死」を
基本的にそのようなものであると
捉えてしまっているからだと思います。


先生、そのとおりだとわたしも感じます。
そして、それは『生まれてくること』すなわち生と
『死んでゆくこと』すなわち死に関しての事柄が、
時代の、社会システムと共に、変化してしまったことから始まると思います。

すなわち、

ひとのいのちの誕生は、産婦人科医院(病院)にて。
そして、ひとのいのちの終わり、死も、病院にて。

人間の命に関する最初と最期、いちばん大切な部分が、日常の生活からかけはなされてしまったシステムが、この意識をつくりあげたともいえますね。

誕生においても、死にもつながることですし(実際わたしは母子共にいのちの危険が続きました)すなわち死は、非日常の、こわいもの・・・
なぜなら、ひとの神秘なる誕生も、ひとの神秘なる死も、ひとびとは日常において、目の当たりにすることができにくいシステムとなっているからです。

特に、死についてはそうですね。

『死』というものが、『病院』という特定の場所において、どうかすると大変事務的に心なく取り扱われるシステムが、できあがってしまっていますね。
死というものの概念自体が生活からまったくかけ離されていまっています。
それゆえに、死・病・そして老いに対して、人々は恐れてしまっています。
さらに拍車をかけるのは、死の先にあるものを信じる心がなくなった戦後ですね。
例えばアイヌでは、死後、魂は明けの明星に還るということにて、死後の世界に旅立つという観念があります。
死後の世界がある・・・という、もともと人類はそのような観念だったことが、現代人は、死はすべての終わり、というような観念にいつの間にか塗り替えられてしまった事柄も拍車をかけています。

ちなみに・・・わたし自身は病院では絶対に死にたくありませんね!
そうです。
生き様を見せるのも親としての仕事であるのならば、死にざまを見せることができるのも、親として子どもたちにギフトできる最高のものだと思うからです。

また、本当の意味においての運営をされているホスピスの例は、かなりそれに近く、生まれてきたふるさとへ先にお帰りになる方々へ家族はまるで自宅にいるかのようにずっと付き添うことができ、また亡くなられるときには近しい方々はその方の手を握り、その儀式ともいえるさまは、それはそれは素晴らしい・・・というか、神秘的なものでした。
(ある、ホスピスの本より)

病院では面会時間が決められ、さらに小さな子どもは入室不可であっりもします。
隔離されひとりぼっちで死んでゆくのです。
そのような方々がのこしてゆかれた“お気持ち”いわゆる残存思念はどのような境地だったと思われますか・・・?

『誰か・・・誰か、手を握ってください・・・この手を・・・どうか・・・誰か・・・握ってください・・・』

・・・それはそれは哀しきものでした。



ちなみに死に関してはズレますが、
こちらのクリニックではあえて個室という設計ですが、大病院ではお互いに励ましあい、そしていたわりあうという、生きるために必須な共認充足が得られるという善き一面もあります。
大部屋ですと、なにか異変があっても同室の誰かが発見してくださったり、気がけてくださるものです。
2件まわって、クリニックにお世話になりましたが、同じ病棟のいろんな方々と、かたく握手をかわして転院してきました。

人間はひとりぼっちでは、生きられない生命体です。
ひとりぼっちで病室で過ごす時間は、途方もなく寂しく辛く哀しく、大変ネガティブに傾きがちなのですよ。
そのなかで、いかにひとりぼっちの時間をポジティブに思考していけるかが、修行なのかもしれませんし、“これまでの自分を見つめなおす”という大変重要課題が課せられ、生まれ変わるための試練がそこではつきつけられます。
おかげさまにて、大変善き体験と治療を受けさせていただき、心より感謝しております。

できましたら、患者さん同志のコミュニケーションがあり、共にがんばろうねという“みんな同じなんだ”という同一視ができれば、心の充足が得られて自然と前向き思考になってゆくものと思います。

前向き思考、ポジティブになるには、心が充足→安定しなければなかなか出来るものではないと思います。

いろんな課題があるところでしょうけれど、人間としての根源、本源的な部分にフォーカスすることが、解決の鍵となることと思います。
『ではどうしたらみんながうまくいくのか?』
という肯定視の観念思考が新しいシステムも作り出すことができると思います。

クリニックのますますの発展をお祈り申し上げております♪
さらに、先生のプログ、毎回楽しみにしております♪
Posted by ミワ子 at 2010年05月05日 02:41
ミワ子さん、こんにちは。

いつもコメントありがとうございます。

貴重なご意見、
参考にさせていただきます。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年05月05日 12:18
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