2010年07月22日

エネルギーの身体(ボディ)

神秘主義思想家、ブラヴァツキー夫人を中心とした
神秘主義、密教、秘教的な思想哲学体系・・・

『神智学』

また、それを基にしてルドルフ・シュタイナーによって
体系化された・・・

『人智学(アントロポゾフィー)』

神智学や人智学では、
人間存在は、肉体だけ、物質的にだけ
存在しているのではなく、
その周囲に・・・

『エーテル体』
『アストラル体』
『メンタル体』
『コーザル体』

・・・などのエネルギーのボディ、
エネルギーの身体が層状に重なって
同時に存在している・・・

・・・ということが言われています。

シュタイナーは、
『人間の構成要素』は・・・

『物質体』
『エーテル体』
『アストラル体』
『自我』


・・・の4つであると述べています。

簡単に言うと、
『エーテル体』とは・・・

有機体をひとまとまりに保つ生命の力
エーテル体には『意識』がありません。

『アストラル体』とは・・・

『意識』を持つ力。
よって、動物にはありますが、
植物には無いと言われています。

『自我』は・・・

自分自身に関する主体としての意識
人格を構成する心的領域
よって、動物は『アストラル体』を持ってはいるが
『自我』は持っていないとされています。

さらにシュタイナーは、
人間が体験する様々な生理的現象を、
この組み合わせから解説しています。

シュタイナーによると、
例えば『睡眠』は・・・

『物質体』と『エーテル体』は存在しているが、
『アストラル体』と『自我』が同時に存在していない状態

・・・であるとし、
あるいは、『死』は・・・

『物質体』と
『エーテル体』+『アストラル体』+『自我』が分離してしまった状態

・・・であると表現しています。

その真偽は、
現時点においては
いまだ器械で数値的、定量的に測定できませんので、
いわゆるサイエンス、科学的な証明など不可能ですが、
氣功を実践していると、
明らかに『氣』の存在を実感してしまいますので・・・

『・・・・・。
 まぁ、大筋はそういうことなんだろうな・・・』


・・・というくらいの理解はしていました。

『エーテル体』
『アストラル体』
『メンタル体』
『コーザル体』


・・・これらのエネルギーの身体(ボディ)を、
全部ひっくるめて・・・

『氣の身体(ボディ)』

・・・であると
私は考えていたのですが、
では、
この『氣』のボディの一体どこからどこまでが『エーテル体』で、
どこからどこまでが『アストラル体』で
『メンタル体』で『コーザル体』なのか、
正直、よく理解できませんでした。

しかし、最近、
この辺りの微妙な違いが何となくではありますが
理解できるようになってきたような氣がします。

きっかけは・・・
『ヘミシンクCD』

・・・でした。

『ヘミシンク』の開発者、
ロバート・モンロー氏は、
『ヘミシンク』を、いわゆる・・・

『体外離脱』
『幽体離脱』

・・・の研究の途上で開発されました。

『幽体』とは『アストラル・ボディ(アストラル体)』のこと。

『ヘミシンクCD』を聴いていると、
次第に『アストラル体』が成長してきます。

そこで気付いたのです。
一般的に『氣功』で言う・・・

『氣の身体』

・・・に、
『アストラル体』『メンタル体』『コーザル体』が
含まれているのではなくて、
それは単に『エーテル体』のことを指しているだけなのではないかと・・・。

そもそも、『エーテル体』の外側に
単純に『アストラル体』が存在していると、
いかにも3次元的に理解しようとしていたのが間違いだったのです。

神智学や人智学が言うように、
確かに人間存在はいくつかのボディが層状に、
同時に存在してはいるのですが、
全部が全部、
3次元空間にそのまま存在している訳ではないような氣がします。

『なんだ、
 エーテル体とアストラル体って、存在する次元が違うじゃないか・・・』


・・・これはあくまで現時点での私の仮説です。

ちなみに、シュタイナー的に言うと、
『体外離脱』は・・・

『物質体』+『エーテル体』

『アストラル体』+『自我』

・・・の2つのセットが分離した状態と言えます。

(これも仮説です。
 体験した訳ではないので・・・。coldsweats01



Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(2)
この記事へのコメント
しげたん、お元気ですか?東京は猛暑で、私も死にかけです。気合いがたりまへんな。先日は心配してくれてありがとう。^^

ちょっと、突っ込み入れさせてくれる?

多次元的に理解するところまではわかるのですよ。仮説もわかります。
それが層状に存在するというのは、ヨーガの成瀬氏も似たような事を仰っていたと記憶してます。(最近、私ぼけ気味ですが、、)そこもなんとなく理解できるのですよ。睡眠瞑想中、多層な次元を実感できますしね。

ただ、この記事の話、一番ひっかかるのは、やはり「自我」の定義です。
心的領域って定義できるのですか?心理学的に?精神医学的に?東洋医学的に?数学的に?心的領域って概念が昔の哲学から脱却できていないようなそんな心配をしました。それが基本だったら、現在の論争からすでにtermが違いますからね。
「気」の存在は、疑いようもなく当たり前の話ですから、ここでその議論は最低限の知識としてクリアしましょう。

一つ、しげたんに投げかけたいのは、それでは改めて「自我」というものはいかに?というごく基本的な質問なのです。自我の定義は西洋と東洋ではあきらかに違います。

ナーガルジュナ、もしくはツォンカパの考えている「自我」とこの記事のシュタイナー氏が唱えている「自我」とは相当隔たりがありませんか?この自我は私が現在最も重要視している概念です。

一方西洋医学で、私が重視している点です。自我と言えば、フロイトが唱えた自我と、その娘、アンナフロイトが唱えた自我はほぼ同じとは言え、臨床的には、精神分析的には違いがあります。私自身、臨床で八年間自我心理学(すなわちアンナフロイトの流派)を学びましたが、精神科の面接で大いに武器になりますが、自我の定義を見直すと妥協点が未だに中途半端なままでいます。私自身、すでに、その八年間をあらたな発見から捨て去っているのですが。

基本的に「自我」が主体を持っているという定義には、「空」の概念が欠かせないと思えますし、、「空」を定義すれば、主体とはいったい、なんぞやという話になります。それって、矛盾しませんか?「空」がそれぞれの層を多次元的に認識できると、それはそれで、私のような修業派にとっての光明となりますがね。(まぁ、煩悩が多すぎるごん爺が語るなって話はおいといてwwww)

あほかと思われるかもですが、現在の中論を超える悟りを得るのが、医師として、人として、私への課題だと思って、日々過ごしています。(その割にはだるい~~等と言いつつ、怠惰な日々を送ってますが、、、(;・∀・))

先日、ダライラマが中論に関して語っている本を読みました。とても興味深いものでした。よろしかったら是非。


ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章
Posted by ごん爺 at 2010年07月23日 00:16
ごん爺、さすが『自我』には詳しいな・・・!!

正直、
ワシ自身も、『自我』に関して模索中なのです・・・。

ダライ・ラマの「中論」、
早速ワシも読んでみます。

貴重な情報をありがとう・・・!!
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年07月23日 18:56
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