2009年05月09日
帰依派と修行派
矢山クリニックでは、
朝、始業前に全員で氣功を行い、
その後、職員が交替で本を音読し、
身体と心と氣を整えてから仕事を始めています。
現在読んでいる本は、
矢山利彦院長の朋友で、義兄弟でもある
時津賢児氏の
『武道の力』(大和書房刊)です。
昨日、この本の
『帰依派と修行派』について述べられている箇所を読みました。
この言葉は、もともと矢山院長の表現です。
矢山院長によれば、
人間は大きく2つのタイプに分類されるのだそうです。
それは、『帰依派』と『修行派』の2つ。
『帰依派』とは、
自分自身の力で人生を切り開いていこうとするよりは、
どちらかというと
成り行き任せ、人任せ、神頼み、自分以外の他の何か、
『教祖』に依存してしまう『他力』タイプ。
『修行派』は、
文字通り、人生を『修行』ととらえ、
自己に備わっている力を修行により高め、
何事も自分で行い、
自分の力で人生を切り開いていこうとする『自力』タイプ。
実際は、
純粋な『帰依派』や『修行派』の人が存在している訳ではなく、
この2つの要素が微妙に絡み合って、
1人の人間が成り立っています。
時津氏が新しく創始した武道、
『自成道』のコンセプトは、
自分で自分の人生を築いていこうとする生き方であり、
それは『修行派』の概念に近いということを指摘されています。
しかし、時津氏は、
その修行という意識を持って生きていく過程において、
自分1人の修行など実は微々たるもので、
人間は1人で生きていけるものではないということを実感し、
人生には人間を超える何らかの力が働いているという感覚に目覚め、
思わず低頭し、謙虚になっていく・・・
ということを指摘されています。
『修行派』の生き方を突き詰めると・・・
朝、始業前に全員で氣功を行い、
その後、職員が交替で本を音読し、
身体と心と氣を整えてから仕事を始めています。
現在読んでいる本は、
矢山利彦院長の朋友で、義兄弟でもある
時津賢児氏の
『武道の力』(大和書房刊)です。
昨日、この本の
『帰依派と修行派』について述べられている箇所を読みました。
この言葉は、もともと矢山院長の表現です。
矢山院長によれば、
人間は大きく2つのタイプに分類されるのだそうです。
それは、『帰依派』と『修行派』の2つ。
『帰依派』とは、
自分自身の力で人生を切り開いていこうとするよりは、
どちらかというと
成り行き任せ、人任せ、神頼み、自分以外の他の何か、
『教祖』に依存してしまう『他力』タイプ。
『修行派』は、
文字通り、人生を『修行』ととらえ、
自己に備わっている力を修行により高め、
何事も自分で行い、
自分の力で人生を切り開いていこうとする『自力』タイプ。
実際は、
純粋な『帰依派』や『修行派』の人が存在している訳ではなく、
この2つの要素が微妙に絡み合って、
1人の人間が成り立っています。
時津氏が新しく創始した武道、
『自成道』のコンセプトは、
自分で自分の人生を築いていこうとする生き方であり、
それは『修行派』の概念に近いということを指摘されています。
しかし、時津氏は、
その修行という意識を持って生きていく過程において、
自分1人の修行など実は微々たるもので、
人間は1人で生きていけるものではないということを実感し、
人生には人間を超える何らかの力が働いているという感覚に目覚め、
思わず低頭し、謙虚になっていく・・・
ということを指摘されています。
『修行派』の生き方を突き詰めると・・・
実はこのように、
自分自身が、
大宇宙・大自然の前では完全に無力であることを理解し、
畏敬の念を抱き、
畏怖し、
謙虚になり、
そういった自分を超えたものに対する『帰依』の心が目覚めるのです。
そして、
『修行派』であろうが、『帰依派』であろうが、
自力であろうが、他力であろうが、
実はどちらでも良くて、
それらは宇宙にあまねく存在する
『無限力』の1つの現われであるということを悟ります。
ただ、そのことを理解するためには、
最初から依存的な姿勢である『帰依派』のままでは
実は不十分です・・・。
時津氏は、
『武道とは、弱者が少しでも強く変貌するための方法を実践する道』
・・・と述べられていますが、
たとえほんの少しであったとしても、
自力や修行に目覚める方法として、
自成道などの武道や氣功は
非常に優れたものであると、私も思います・・・。
自分自身が、
大宇宙・大自然の前では完全に無力であることを理解し、
畏敬の念を抱き、
畏怖し、
謙虚になり、
そういった自分を超えたものに対する『帰依』の心が目覚めるのです。
そして、
『修行派』であろうが、『帰依派』であろうが、
自力であろうが、他力であろうが、
実はどちらでも良くて、
それらは宇宙にあまねく存在する
『無限力』の1つの現われであるということを悟ります。
ただ、そのことを理解するためには、
最初から依存的な姿勢である『帰依派』のままでは
実は不十分です・・・。
時津氏は、
『武道とは、弱者が少しでも強く変貌するための方法を実践する道』
・・・と述べられていますが、
たとえほんの少しであったとしても、
自力や修行に目覚める方法として、
自成道などの武道や氣功は
非常に優れたものであると、私も思います・・・。
Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(4)
この記事へのコメント
こんばんは、お元気さまです。
人間の存在とは元々霊魂であり、その肉体や運命を選んでこの世に生まれてくるのだとしますと、ある人生では帰依派、ある人生では修行派として生まれ変わるのかもしれませんね。でも、一生懸命生きれば目指すところは同じ、ということなんだと思います。私は、なかなかの「帰依派」ですが、がんばります!
人間の存在とは元々霊魂であり、その肉体や運命を選んでこの世に生まれてくるのだとしますと、ある人生では帰依派、ある人生では修行派として生まれ変わるのかもしれませんね。でも、一生懸命生きれば目指すところは同じ、ということなんだと思います。私は、なかなかの「帰依派」ですが、がんばります!
Posted by アルコンテ at 2009年05月10日 00:04
人は少々偉くなったり、人から煽てられると『勘違い』
をしたり『横柄』になったり…。
人は無力である。と言う自覚を持ち、自分が生かされて
いる事、物への感謝を持たないと他人や物を傷つけて
しまうことに繋がる。
感謝と反省はとても重要です。
いつも良い話をありがとうございます!
をしたり『横柄』になったり…。
人は無力である。と言う自覚を持ち、自分が生かされて
いる事、物への感謝を持たないと他人や物を傷つけて
しまうことに繋がる。
感謝と反省はとても重要です。
いつも良い話をありがとうございます!
Posted by かぼやん at 2009年05月10日 00:27
アルコンテさん、こんばんは。
このような素晴らしいコメントをくださるアルコンテさんは、
立派な修行派ですよ・・・。
このような素晴らしいコメントをくださるアルコンテさんは、
立派な修行派ですよ・・・。
Posted by ゲゲゲのしげたん
at 2009年05月12日 21:30

かぼやんさん、こんばんは。
修行派の人間の陥りやすい落とし穴は、
実は『傲慢心』なんです。
そこで、『帰依』の心、
謙虚な心に目覚めることができるかどうか・・・。
ここがポイントだと思います。
修行派の人間の陥りやすい落とし穴は、
実は『傲慢心』なんです。
そこで、『帰依』の心、
謙虚な心に目覚めることができるかどうか・・・。
ここがポイントだと思います。
Posted by ゲゲゲのしげたん
at 2009年05月12日 21:33

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