2010年01月10日

見の目、観の目

江戸時代初期の剣豪、宮本武蔵

その宮本武蔵が世に遺した兵法書
『五輪書(ごりんのしょ)』

『五輪』とは『オリンピック』のことではなくて
密教において万物を構成するとされる
『地・水・火・風・空』『五大』のこと。

武蔵は自ら編み出した兵法、『二天一流』の全てを
この『五輪(五大)』になぞらえてこの『五輪書』を記されました。

その第2巻である『水之巻』は、
『二天一流』の太刀の持ち方や構えなど、
実際の剣術に関することが書かれているのですが、
特筆すべきことに、
この巻には『心の持ち方』についても述べられています。

その中に・・・

『観見二つの事、観の目つよく、見の目よわく、
 遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也』


・・・という記述があります。

『人がものを見るときの目は2つある。
 それは、「見の目」「観の目」
 
 「見の目」とは肉眼でとらえる目。
 「観の目」とは心眼でとらえる目。
 
 実際の戦闘時には、
 観の目を強くし、
 見の目を抑えて見なければならない。

 目で見ることよりも、心の目で観ることの方が重要である。

 相手の実際の動きのみにとらわれず、
 相手の心の動き、真の狙い、本当の動きをつかむのが
 二天一流の言う、兵法である。』

・・・といった所でしょうか。

これは、『一刀流』開祖、伊東一刀斎流に言えば・・・

『相手の背中が見えたら切れ』

・・・であり、
また創造人K氏流、苫米地英人氏流に言うと・・・

『抽象度を上げる』

・・・という意味になるでしょうし、
『星の王子さま』流に言うと・・・

『大切なものは、目に見えない』

・・・ということになると思います。

武道の概念に『活殺自在』というものがありますが、
武道は医療同様、
人間の生死に深く関わってくるが故に
医療の世界、医療の現場において
実際に応用、活用できる側面があり、
この武蔵の『見の目、観の目』の発想も
その1つの側面であると言うことができると思います。

1人の患者さんを診る際に・・・

一つひとつの細かいことに惑わされないで、
大きく広く全体を観る。

目に見えている物事の裏側にあるものを観る。
相手の心や本質を見通す。

目の前の現実を実際に見て
問題を真正面にとらえながらも
幅広く周囲の場や状況や雰囲気を心で観察し、判断する。

脳の視覚野でとらえた情報を
右脳、左脳、全脳的に、解析する。
意識下、無意識下でとらえる。

視覚だけに頼らずに、全感覚を駆使して受けとめ、
全身的にとらえる。


・・・といった感じでしょうか。

武蔵が仰っておられる『観の目』を養う
直接的、具体的な訓練法に関しては、
残念ながら『五輪書』に記載が無いようです。

この『観の目』を養うには・・・
ズバリ『共感覚トレーニング』が役立つと思います。

例えば、コーヒーを飲む際に、
そのコーヒーの味(味覚)だけではなく、
色(視覚)、
香り(嗅覚)
音(聴覚)、
温度(温覚)、
舌に触った感じ(触覚)
など、
五感をフルに使って、
また可能であれば、
コーヒー自体が奏でている音楽、波動、周波数(氣感)も加え、
それらの感覚を別々にではなく
一度に感じる練習を行うと良いと思います。



Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(4)
この記事へのコメント
こんばんは
コメント失礼いたします

共感覚は、トレーニングできるのですねえ~!

コーヒー…で思い出しましたが、

カラダによい食事ができる、とあるホテルでの朝食にてのことを思い出しました

五穀米やほかいろいろなお野菜のおかずをいただいていたとき
それぞれのものたちが畑にて…
大地から育まれ…天からは太陽の光や雨に恵まれ…
そしてあるときは風にそよぎ育ちゆく風景がみえてきて
思わず涙してしまったことがありました

さらに収穫されこんどはひとの手で「火の力(火の聖霊の力)」が加えられ、
ひとの「心」までも加わったその朝ご飯に
思わず涙しながらいただいていたことがありました

それも共感覚なのかなあ~???


ちなみに絶対音感あります
それこそ幼いころから鳥の鳴き声をピアノで弾いていました

だからでしょうか
ひとの心とチャクラの波動を音階にします
即興で「その方だけの心、魂のうた」を唄います
どなたも言われるのが
「懐かしい」
「自分のうただと思いました」
というご感想です

涙される方も少なくはありません
また不思議と過去生の風景を視る方もいらっしゃいました


心(波動)を音にしてうたう

それらも共感覚なのでしょうか…(^-^)


また、ある場所に呼ばれることもあり
全く知らない土地なのにまるで知っていたかのごとく呼び寄せられることもよくある出来事です
まあそれは共感覚とはちょっと違うかしら。


それにしても、人間の感覚の豊かさは、本来みなさまが思っていらっしゃるよりも
もっと豊かで自由なのかもしれませんね

わたしにとってはそれらは“ふつう”のことですから。


ちなみにご飯をいただくときに、それまでの風景(天の恵み、地の恵み、そしてひとの心)をみていては
毎回涙ながらに食さねばなりませんので、

できるだけ
「天と地の恵みに感謝いたします!合掌!いただきます!」
の感謝までにとどめ、美味しく美味しくいただいております(^人^)


今回も興味深いお話しをありがとうございました
Posted by ミワ子 at 2010年01月10日 22:18
ミワ子さん、おはようございます。

興味深いコメントをありがとうございます。
ミワ子さんは実に素晴らしい「観の目」を
お持ちのようですね・・・。

機会がございましたら
私の「心、魂のうた」も聴かせてください。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年01月11日 07:34
先生おはようございます

お返事感謝いたします
興味深いと言っていただきうれしいですありがとうございます

ボイスヒーリングは誰に習ったわけでもなく、自然に唄いだしたもので、
それこそきちんと習ってなさっていらっしゃる方々は同じ曲(うた)のようですが
わたしの場合はおひとりおひとり違うんです

不思議と音階が決まっていて、なぜ?ときいたらチャクラに対応してるんだよとスピリットは言いました

チャクラの流れが滞っていたりしていらっしゃるような方々は、音階がまず外れます
それを何度もうたいあげてゆくなかで調整してゆきます

反対に、調整の整った方へのうたは、音階が少しも外れません!
それはそれは見事なうたとなります

低音から高音にかけどの部分がよく出るかの「うた」から、その方の状態がわかったりします

うたう自分が一番不思議ですよ

痛みがなくなったなどとおっしゃる方や、
心の痛みをかなり抱える方はこちらが泣けてきたりもします
摩訶不思議ですね



共感覚というか…

共感の感覚…(同じ意味でしょうか?)

共感の感覚でいえば「マイケル・J・ローズ」氏の「魂との対話」
まさにあの本の中身そのままに、自然界やヒトでないものたちと会話するのも共感覚なのかしら

言葉なきものを“言語化”しているのも共感覚というのでしょうか。

ちなみにオーラを視るときは私も子どもたちも“視覚化”はしないのです
目に見える色を物質の目から視覚として見るわけでなく
いわばその方自身を見ないで、“心に分かったものを色に変換すれば何色なんだろう”と色を視ます

しかし娘も「オーラは色がどうこうというのではないんだよね。その奥の意味合いが大切なんだ」と、まだ中1ですが言っています
ちゃんと分かってるなあ~と思います


共感覚に秘められる可能性には、ひとの心も理解しあえる、「心と心のふれあい」

「共認原理」(ひとは心と心で支え合って生きる、また、人類本来の生きる活力の源)
へと繋がる可能性があるかと思います

トレーニング、いいですね♪

「心の世界」
目に見えない世界をも大切にしてゆければ
目に見える世界(社会)をも、変革を起こしてゆくことだと思っています

心と体
いわゆるスピリチュアルとリアルは表裏一体…いわば“つながりあう同じもの”ですからね
Posted by ミワ子 at 2010年01月11日 09:58
ミワ子さん、こんばんは。

「共感覚」は、正確には、
例えばコーヒーの味ならば、
その味を音で感じたり、
色や光で感じたりすることを言うのですが、
ここではもう、それらの感覚を一度に共同で感じる感覚という意味で
「共感覚」と呼んでいます。

「共感覚」や「共認感覚」で
世の中に素晴らしい変革が起こっていけば
本当に素晴らしいことだと思います・・・。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年01月12日 20:00
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