2010年05月04日

『絶対優位の医療』の理由

我々、医療者は、
人さまの『生・老・病・死』を直接扱うのが仕事です。

特に、『ホロトロピック・センター』は・・・

『誕生から死に至るまでを視野に入れて人間を観ていく』

・・・ことを理念として掲げています。

しかし、ここにきて私は・・・

『・・・ん?
 死に至るまでではなくて、
 死んだ後のことも視野に入れて
 人間を観ていく必要があるのでは・・・?
 それが真のホロトロピックなのではないだろうか・・・???』


・・・と思い始めたのでした。

それは、昏睡状態の方、
死者と直接コミュニケーションがとれる人物と
ディスカッションする環境に身を置くことができるようになったことが
大きなきっかけとなりました。

現在の所、
死者とのコミュニケーションが真実であるか否かを
完全に証明することはできませんが、
様々な状況を総合的に考えた結果・・・

『それは、かなり真実に近いのではないか・・・?』

・・・と個人的には考えています。

具体的なことをここでは書くことができませんが・・・
『昏睡状態になったお蔭で、
 意識のみがお孫さんの結婚式に出席できたケース』


『幼い我が子を想うが故、魂が光の世界に帰れなかったケース』

『年老いた母より先立つ無念から、この世に残存思念を残したケース』


・・・などを経験したことにより、
私は・・・

『人さまの生き死には、
 我々、医療者にとっての善悪を超えたところにある』


・・・ということを深く考えるようになりました。

『我々医療者が本当に為すべきこととは
 一体何なか・・・?』


その答えが出ることなど
我々の世代ではとても無理だし、
いったい何代先に解明されるのか見当もつきませんが、
未来の世代の医療のためにも
自分ができる範囲内のことはやっておこうと思い立ちました。

とりあえずは、
『生』に執着し、『老・病・死』から逃避してしまっている
現在の医療を見直して・・・

『治っても良し、治らなくても良し』

『生きても良し、死んでも良し』

『自分の人生を、自分らしく生きる』


・・・という、
抽象度1つ上げた
『絶対優位の医療』の確立と、
死後の遺族のケア
いわゆる・・・

『グリーフ・ケア』

・・・に力を注いでみたいと思います。



Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(2)
この記事へのコメント
重田先生 こんにちは。

何となく、仰っている事に共感しました。私も ふっとした瞬間に、「なんで薬まで飲んで 私は病や怪我を治そうとしよるっちゃろか?…。
そげんまでして 生きたいんやろか…。そげん自分が大事?。(なるようにでいいっちゃない…、なるようにしかならんちゃない?)」
と思う時があります。

以前、確か先生にも ちらっとそんな事を言った事があるような…。

うまく言えませんが、別に悲観してるのではなくて、ふっと我に返った様な、根本に返った様な、『そもそも…』と思える様な疑問の生じ方です。


もちろん、先生が仰る様に、お薬を飲んだり 気功をしたり等、やった方がいい事はやる、なげやりな事はしないというのが大前提での話ですヨ。


話は変わりますが、
今日は 祖母の誕生日で、もう亡くなってますが、仏壇の蝋燭に火を着けて(つける場所が違うような…)
「お誕生日おめでとう」と言って、仏壇の前で 一緒にお茶してます。ケーキは食べてません!が…お菓子を食べました。m(__)m

もし私なら、そうやって 時々思い出して貰えたら嬉しいしなあ〜とか思いながら。

草取りをしたり、愛犬のお墓参りに行ったり、親戚を訪ねたり、友人ご家族の 夕飯に呼んでもらったりの連休でした。

先生は? お仕事でしたか?
Posted by 冨田 at 2010年05月05日 13:01
冨田さん、こんばんは。

覚えていますよ、
富田さんが仰っていたこと。

あれはそういう意味だったのですね。
やっと理解できました・・・。

ゴールデン・ウィークは、
飛び石連休でした。

まとまったお休みはなかなかとれたものでは
ありませんが、
お蔭さまでいい連休でした・・・。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年05月06日 21:42
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