2010年06月08日

ゴーギャンと宮沢賢治

『我々はどこから来たのか?
 我々は何者なのか?
 我々はどこへ行くのか?』


19世紀フランスポスト印象派の画家、
ポール・ゴーギャン絵のタイトルですが、
現在ではゴーギャンの名言として広く知られています。

『あなたは何処から来たのですか・・・?
 あなたは何者なんですか・・・?
 あなたは何処へ行くんですか・・・?』


これもある意味『大人クイズ』ですが、
(今度の採用面接で出題してみようかな・・・?)
ある人はその答えを・・・

『光』

・・・であると言い、
ある人は・・・

『道(タオ)』

・・であると言い、
またある人は・・・

『命』

・・・であると言います。

おそらく、答えは1つなのではなくて、
人それぞれに答えが違っていて、
人それぞれが自分なりの仮説を立て、
その仮説を一生かけて証明していこうとするのが人生ではないかと
私は現時点では考えています。

先日、読者のしいちゃんさんに・・・
宮沢賢治氏の・・・

『生徒諸君に寄せる』

・・・という詩を教えていただきました。

『生徒諸君
 諸君はこの颯爽たる
 諸君の未来圏から吹いて来る
 透明な清潔な風を感じないのか
 それは一つの送られた光線であり
 決せられた南の風である

 諸君はこの時代に強いられ率ゐられて
 奴隷のように忍従することを欲するか
 むしろ諸君よ
 更にあらたな正しい時代をつくれ

 宙宇は絶えずわれらによって変化する
 誰が誰よりどうだとか
 誰の仕事がどうしたとか
 そんなことを言ってゐるひまがあるか

 新たな詩人よ
 雲から光から嵐から
 透明なエネルギーを得て
 人と地球によるべき形を暗示せよ

 新しい時代のコペルニクスよ
 余りに重苦しい重力の法則から
 この銀河系統を解き放て

 新たな時代のマルクスよ
 これらの盲目的な衝動から動く世界を
 素晴らしく美しい構成に変へよ

 新しい時代のダーウ゛ヰンよ
 更に東洋風静観のキャレンチ゛ャーに載って
 銀河系空間の外にも至り
 透明に深く正しい地史と
 増訂された生物学をわれらに示せ

 おほよそ統計に従はば
 諸君のなかには少なくとも
 千人の天才がなければならぬ  
 素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである

 潮や風・・・・・
 あらゆる自然の力を用い尽くして
 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

 ああ諸君はいま
 この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
 透明な風を感じないのか』


20代の頃に読んだ時は・・・

『宇宙は絶えず我らによって変化する
 誰が誰よりどうだとか
 誰の仕事がどうしたとか
 そんなことを言っている暇があるか』


・・・の所に妙に反応し、熱く燃え上がっていたものですが、
40歳を過ぎて読んでみると、
また違った箇所に反応し、感動させられてしまうので、
実に面白いものです。

宮沢賢治氏のこの詩は
基本的には若い学生に向けて発せられたメッセージですが・・・

「この世」「魂の学校」である』

・・・という説もあるくらいで、
そういう意味では
我々は40歳になろうが50歳、60歳になろうが、
何歳になっても上記の『仮説』を証明するまでは
『学生諸君』なわけで、
実は我々全員に向けられたメッセージであると考えられなくもありません。

それにしても、
今更ながらですが、
宮沢賢治氏はやはり只者ではないですね・・・。


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Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(2)生き方
この記事へのコメント
しげたん先生 おはようございます(^^)

宮沢賢治の詩を、ご紹介くださってありがとうございます☆

ほんと、「只者」ではないですね~・・・。
賢治が亡くなったとき、お父さんの政次郎さんは、「あれは、若いときから、手のつけられないような自由奔放で、早熟なところがあり、いつ、どんなふうに天空へ飛び去ってしまうのか、計り知ることができないようなものでした。わたしはこの天馬を、地上につなぎとめておくために生まれてきたようなもので、地面に打ち込んだ棒と綱との役目をしなければならないと思い、ひたすらそれを実行してきたのであります。」と、言われています。

また、、
臨終の枕辺で、「おまえが書いてある、あのたくさんの原稿はどうするつもりだ。」と、お父さんがきいたら、賢治は、「あれは、みんな迷いのあとですから、よいようにしてください。」と答えています。
「迷いのあと」・・・未来も過去も、宇宙空間も感じとる目をもって生まれた賢治すらも、迷ってしまう「この世」。。。。
現実としっかり向き合ってきたからこその「迷い」なのでしょうか・・・。

賢治が好んで聴いたドボルザーク作曲の「新世界」・・・今、平原綾香さんが、作詩して歌っていますね~☆ 
 「When I'm lost  遠い道の先で
 自分との決まりを 今 破る時
 くるしい心もそのままでいい かなしいおもいも そのままでいい
 それは心なおすことなく 手放すこと
 いつだって きっと 自分は 生まれ変われる」

自分が自分に課した、重い重力のような「こだわり」や「とらわれ」から解放されたとき、未来から、そして、「この世」の大地から、「透明なエネルギー」が立ちのぼってくるような、そんな感じがします。(^^)
伝記を読んで、「今また賢治に恋してる♪」です。(笑)

しげたん先生 いつもありがとうございます☆ (^^)
Posted by しいちゃん at 2010年06月09日 10:22
しいちゃんさん、こんばんは。

う~む・・・。
やはり只者ではありませんね・・・。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2010年06月09日 19:26
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