2009年03月14日

善魔

大学時代、
私は通称、『極楽荘』という所に下宿していました。

この下宿の先輩Uさんは、
とてもユニークな先輩で、
私も大きく影響を受けたものです。

ある日、U先輩に質問されました・・・。

先輩:「重田、お前、『善魔(ぜんま)』って言葉を知ってるか・・・?」

私:「『善魔』・・・ですか?
   『悪魔』じゃなくて・・・?」


先輩:「『悪魔』はな、
     自分が『悪』だということを自覚している『魔』なんだ。
     でも『善魔』は違う。
     自分を『善』だと思い込み、
     実は周りの人間にとっては『悪』だということに気付かない
     おめでたいヤツのことを言うんだ。」


私:「良かれと思ってやったことでも、
   悪く取られることもありますもんね・・・。」


先輩:「人はいつでも『善魔』になってしまう可能性がある。
     お前も気をつけろよ・・・。」


自分が正しい、良かれと思って行動したことでも、
周りにとっては必ずしも
それが正しくて良いことであるとは限りません。

相手にとっては苦痛であったり、
有難迷惑であったり、
重荷になっていたり・・・。face08

そんな周りの反応に気付かずに、
自分の愛や善の感情に溺れ、
ますます一生懸命になったり、
自己満足に浸ったり、
知らず知らずの内に傲慢になってしまっていたり・・・。

U先輩の言う通り、
実際、善魔という要素は誰にでも潜んでいるものです。face07

『善魔』という『魔境』に陥らないために、
常に相手の心情に細かい配慮をすること、
『氣』を察すること、
自分にとっては正しいことでも、
相手にとっては必ずしも正しいとは限らないことを
常に頭に入れて発言、行動すること、
正義を突きつめないこと、絶対化しないこと、
自分以外の世界を認めること、
他人を裁こうとしないこと、
自分にも『弱さ』『過ち』『悪』の要素があることに気付くこと、
自分が『善魔』になってしまう可能性が、常にあることを意識すること・・・

そんなことを、最近よく考えます・・・。

ところで、この『善魔』という言葉は・・・
最近まで仏教用語だとばかり思っていましたが、
実は作家の遠藤周作氏の造語だったようです・・・。






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Posted by ゲゲゲのしげ爺 at 19:00│Comments(2)生き方
この記事へのコメント
遠藤周作の本は、小学校から高校まで通ったカトリックの学校の通学路で殆ど読みました。福岡市内にまだちんちん電車が走っていた頃のことです。遠藤周作が彼の信仰心を記した集大成『深い河』に至るまでの経緯には、ワタシも様々な経験をし…おこがましいですが重なりを感じるところが多々あります。
『彼らをおゆるし下さい。自分で何をしているかわかっていないのです。』イエスキリストのこの祈りの言葉から、なたで断ち切る勢いで自分を省みる機会を沢山頂きました。
省みることは、実は高度な精神活動であると知ったのもイエスの言葉が染み入ってきた頃から、そう、ちょうど先生に初めて診て頂いたころなんです。
…てなことを、記事を読ませて頂きながら考えていました。
Posted by raiha at 2009年03月14日 21:32
raihaさん、こんにちは。

『彼らをおゆるし下さい。
 自分で何をしているかわかっていないのです。』

これは確か、イエスが十字架に磔にされた時の
お言葉ですよね・・・。

自分の敵でさえ愛し、許す・・・。

究極の愛であり、許しですね。
Posted by ゲゲゲのしげたんゲゲゲのしげたん at 2009年03月15日 16:48
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